本当に育ち学べる教育とは?

[家庭の教育、「しつけ」]については、核家族の一般化がいわれて久しく、また、親が子どもの教育に自信がなくなった、子どもを叱らなくなったといわれることに象徴されるように、それぞれの家庭の事情はともあれ、親が大人が、子どもを社会人として「しつける」ことを放棄して、「学校でしつけてください」という発言が聞こえる位の恐るべき状態にあります。

[学校教育の問題]については、国が定めた硬直的な学校制度と学習指導要領による画一的なカリキュラム、教職員のサラリーマン化と質の低下、知識と正答だけを求め、いわゆる「良い大学」を目指すための受験指導、児童生徒の服装から行動まで規制する校則などなど、子どもたちを大人が望ましいと思っている鋳型にはめ込もうとしているのが現状なのです。
生まれた時の自由なのびのびした子どもたちの感性と意欲は、このような環境の中で窒息させられています。
学校の中で起きている不登校、いじめ、ひきこもり、学級崩壊など、また凶悪な少年犯罪などの原因を、一概に決め付けることはできませんが、私たちは、以上述べたような子どもたちをとりまく環境が、もっとも大きな要因になっていると判断しています。

[わが国の教育の本質的な問題点]
日本の教育制度のスタートにあたって、明治政府は、西欧に早く追いつかなければならないと、富国強兵を目指し、一方では国をリードする少数のエリートの養成、一方では強い兵士を作るという人材教育を指向しました。
敗戦後は、米国の制度(6・3・3制)によって、一時「良き市民」になるための教育を目指したのですが、経済の復興、成長を担う「良き経済人」を、効率よく生み出す教育が次第に指向され、学習指導要領や教科書の検定制度、教育委員会を通じての現場指導などを通じて、この傾向に拍車がかけられました。
このような「直ちに有用な人材を効率よく育てよう」として、一定の鋳型にはめ込もうとするあり方が、100年以上続いてきたことと、平和で豊かな社会に安住する風潮と相俟って、知識・技術の詰め込み教育と、偏差値を絶対視する評価、受験競争の熾烈化などにより、教育の現場の荒廃現象が現われてきたのでしょう。
子どもは、生まれながらの、その子なりの個性を精一杯伸ばそうという「善さ」を目指しながら成長しようとしているにもかかわらず、何年生では、これこれの内容を覚えなければならないという画一的なカリキュラムであったり、試験問題では、たった一つの正答だけを記憶させるような知識と記憶の量だけで評価されたり、また、がんじがらめの校則などで、その個性、伸びようとする意欲が圧殺されてしまうことが多いのです。
そのような強制に対する、子どたちの悲鳴と反発が、不登校、いじめ、ひきこもり、学級崩壊、暴力などに現れています。
これに加えて、管理体制の強化が先生、教師にも及ぶにつれ、子どもたちを導き、支えるべき立場に立つどころではなく、教師自らが子どもたちを管理、圧迫する事例も多くなってきています。
これらの結果、高学年に進むにつれ、はっきりとした学習意欲と学力の低下が懸念されるような状況になっています。

[教育改革、改善の試み]
教育現場の荒れた実態に対し、様々な「対策」が講じられ、また、現場の教師達の努力も行われていますが 、残念ながら、目覚しい成果はあまり出ていません。これは、問題の根本原因になかなか近づけないままの、いわば対症療法であるからです。
「詰め込み教育」を改善するため、いわゆる「ゆとり」教育が数年間実施され、授業時間の削減、週5日制の実施、カリキュラムの削減などが公立校などで進められ、また、進度別のクラス編成、授業なども試みられましたが、かえって国際比較での学力の低下が報告され、元に戻ったわけではありませんが、授業時間の増加とカリキュラムの改訂が行われました。1クラスあたりの生徒数の削減、教師の再教育、管理職の新設などの制度面での改革も進められていますが、文科省の政策のブレが教育現場をとまどわせて来ていることは否めません。その中で成果をあげているケースは、実は、現場の教師、学校の独自の工夫によって改善されているのが実態です。例えば「朝の読書」運動(始業前10分間、教師と生徒が一斉に読書)とか、「調べ学習」(テーマに向かって生徒自ら学ぶ方法)や、その発展、応用などです。 また、「特区」制度を利用して、全く新たな試みも進んでいることも事実です。しかし、何れも限られた範囲に止まっています。

[教育にとって、何が必要で、何が不必要か、何を補うか]

(1)必要なこと

  • 親や大人、学校が、「子どもたちは、すべて善くなろうとして生きている」ことを、明確に認識し、周囲はそれを手助けすること。
  • 親や教師が、子どもの短所を矯めるのではなく、長所を発見して賞揚し、伸張させる指導。 教師は、知識を教えるのではなく、子どもに「学ぶ方法を会得する」ことが楽しいことである、ということを発見させること。
  • 学校での成績は、知識、記憶量の有無だけで評価決定せず、子どもの知識以外の個々の能力、感性などを評価すること。
  • 学校教育と共に、親や家族、周囲の大人による「しつけ」(基本的な社会生活のルールづけと、生活の自立習慣作り)。
  • 子どもは、今や家庭のみで育て、責任をとることは不可能になって来ている現実を知り、子どもは「地域の宝」であるという認識。

(2)不必要なこと

  • 文部科学省による全国一律、画一的な学校制度やカリキュラム維持の政策。
  • 教育現場での「 望ましい人間(人格)像 」。
  • 生徒・児童を「管理」するための校則・ルール

(3)補うべきこと

  • ヒトの自立・尊厳性とその根拠。
  • 社会的機会の平等制(結果の平等ではなく)。
  • コミュニケーションとディベートの訓練。

教育について、さらに詳しい研究、様々な問題を深く考えたいという方は、『ヒトの教育の会』のホームページ