ほうとうの会 開催!

子どものいのちを守る会の副理事長、青木紀代美は甲府出身です。甲府と言えば武田信玄、信玄と言えば、ほうとうです。ほうとうとは、うどんのような麺を平らに伸ばし、野菜などの食材と一緒に味噌仕立ての汁で煮込んだ郷土料理のこと。甲府出身でいつもほうとうを作っては食べていた青木が、根菜類がたくさん入ったそのおいしさを皆様にご披露いたします。ぜひ召し上がりに来てください。

以下は青木紀代美からのメッセージです。

私は山梨県の甲府市の生まれです。

雪こそめったに降りませんが、まわりの山々、特に八ヶ岳おろしのからっ風は、それはそれは寒いのです。高校生の頃、居残り授業や部活で、夕方遅く帰り玄関を開けると、プーンとおほうとうの匂い。うれしかった。

私達甲州人は昔からどうしても「お」の字をつける。つまり「大切なもの」、その敬いの気持ちのものがいくつかある。きっとどこの地域にもそういうものがあることでしょう。山梨は「おぶどう」「おほうとう」が代表的なものです。

ほうとうという名前の由来を私は知りません。しかし貧しいお米生産の少ない(火山灰地方のためということでした)甲州の合理的(満腹度、栄養価)な主食として武田信玄が家来に命じて産み出したものと言われています。

お米の足し分にということは子どもで知りませんでしたが、10人のうち8人は好きな食べ物だったんでしょう。ちなみに私の父は晩酌を欠かさないお酒好き、この種の人たちはおほうとうより湯もり。(今風に言うと釜あげうどん)を好んでいたようでした。

海もない山梨は煮干しや鰹節などの出汁はありませんから、すべて野菜が出汁になります。冬は人参、大根、カブ、牛蒡、芋類、カボチャ、ホウレン草、小松菜、ネギ、油揚げ、これらを沢山の水の中に入れて半煮えの頃、生のうすい幅広のうどんをそのまま(前もってゆでないということ)入れます。ひと煮立ちしたところに味噌を入れてコトコトと煮込みます。それだけの料理です。

質素倹約のための料理、高価な肉類など入れるはずもなく、唯一油物は油揚げくらいです。しかし不思議においしいのです。つまりもったいないのでうどんのゆで汁さえ捨てさせないといううどん料理です。

日時  1月23日(火) 午後6時から午後7時30分まで
場所  神楽坂 子どものいのちを守る会事務所
     東京都新宿区矢来町123矢来ビル3F
    地図 https://goo.gl/maps/V3aNgtt4ZnE2
参加費 無料 すきっ腹を抱えてきてください。
申込  こちらからどうぞ。 http://bit.ly/kodomonoinochi

このあとに午後7時30分からボランティアミーティングを開きます。
その詳細はこちらをご覧ください。

2017年9月30日食環教講演会 牛島定信理事長『変わりゆく子どもたちの成育環境』全内容

以下は2017年9月30日におこなわれた食環教講演会『変わりゆく子どもたちの成育環境』にて、当会理事長牛島定信が語った全内容です。

・インターネットへの依存による考え方の変化

「僕は引きこもりじゃないですか」

こう言ってやってくる患者が最近増えています。自分で自分のことを診察してしまうんですね。はじめてそういう人が来たときには驚きました。こういう人を解離性パーソナリティ障害といいます。

普通は学校で友達関係を作って行く、年を取って大人になって行く。こんなことで困っているとか言われればそれに対して精神科医は診断しますけど、自分で診断してきて「きっとわたしはこうである」と自分でその結果を医者に言う。社会に認知されている病名で概念化すればそれで終わり。まさにこれはコンピューターの世界に生きていると言っていいでしょう。その人が言いました。小学校の頃から学校に行く行かないで争って、お兄ちゃんに黙らされる。そういう家庭環境があって、それを友達に話したら「それは虐待じゃないの」と言われたと。それでああそうか、これは虐待かと。すると医者のところに来て、「わたしは虐待を受けた子どもである」と宣言し、それで治療してくれというんですね。確かに学校に行くのに苦労していて、それが母親に影響し、父と兄も何か言ってきて困る、どうにかしてくれという心配じゃない。わたしはこうだから精神病じゃないかと本人から言ってくるんですね。

精神病院というのは、昔ながらの統合失調症等の治療のための病院だと若々しい女の子の入院できるような環境ではないんです。ベッドの上で縛られたりするんです。その恐れを知らないですね。そこに入院させてくれといわれてこちらの方が驚いちゃう。そこに虐待という言葉が大きく働いているんですね。いま世の中では虐待虐待と大騒ぎです。

それともうひとりは自分はピアニストになりたいというんですけど、この子も学校でうまくいかない。ついに高校も卒業が見えてきたんだけど、半年以上学校を休んでいるという。このままだと高校卒業できそうにない。そこでいろいろと考えあぐねて、どこかで指導されたのかもしれないけれど、このごろ通信制高校というのがあるんですね。そこでわたしは通信制高校に行きたいというのです。ところがこの子は受診するのに大変なのです。クリニックの外まで母とふたりで来ているけど、一緒に受診するのか、ひとりで受診した方がいいのかどうかもめているって言うんですね。それでよく話し合って来てくれっていったら一人で来たんです。お母さんは何て言っているのって聞いたら、わかりませんっていうんですね。それでお母さんにあとで聞きますと憤然としているんです。通信制高校の話があるみたいですねって母親に聞くと、お母さんはわたしを怒鳴りつけるようにして、「先生は娘を通信制高校にやれっていうんですか」っていうんですよ。相手をするのに困るくらい叱りつけられました。学校に行く行かないと言うレベルを超えて、感情的な喧嘩になっているんですね。それでその通信制高校というのも、似たような人が集まりますので虐待や引きこもりなどの巣窟のようになっている。大人の世界で使っている言葉を子どもが使って自分のことを理解した気になっている。実際に虐待を受けたり、引きこもりだったりするというレベルより軽度のものでも、「虐待を受けたから」とか「引きこもりだから」と言って、そのような状態になっていってしまっている。言葉によって自分の状態を決めつけてしまう。最近気付きました。まだこんなことを言っている人はいませんけど。

小学校中学校高校くらいの青年たちが訴える問題行動というのは変わりました。わたしが精神科の医師になったのは1963年です。54年ほどになります。だからいま中学高校の生徒、子どもを連れて来る親御さんの歳より、わたしの医者の経歴の方が長いんですね。わたしが医者になってから生まれた方がいま親になっている。だからわたしの時間的視点は、親御さんの一生より長いので、きっと親御さんが知らないことをわたしは知っているんです。年を取るとはそういうことです。

登校拒否という言葉が出てきたのは1960年代です。学校に行けない、行きたがらない。当時学校に行けないというのは、いじめられたのではなく、適応できなかったんです。いまと理由がちょっと違うんです。恥をかいて行けなくなったとか、面目ないとか、申し訳ないとか、そういう悩みが多かったんです。その頃、わたしたちはそういう子どもたちを連れて思春期キャンプに連れて行ったものでした。そうすると一週間ばかりみんなと一緒に楽しんでいると、すっかり顔色まで変わって、それでだいたいよくなったものです。1960年代前半の子どもたちはそれでよかった。頭はいいし切れるんだけど、不器用でした。マッチで火をつけることができないとか、そういう幼さがあって驚いたんですけど、とりあえず優秀でした。でも現実的なことがあまりできない子どもたちという印象がありました。そういう子どもたちにがんばって学校に行こうなんて言うと、大変な状態がうまれました。登校刺激といわれ、それはいけないということになっていました。

ところが1980年、アメリカに新しい診断基準ができて、全世界にあっと言う間に広がった。精神医学改革のようなことが起きた時代。このとき、境界性パーソナリティ障害という病名がはじめてできました。それからその症状を持つ人がわーっとでてきました。どういう人たちかというと、ちょっとしたことで憂鬱になって死にたくなって手首を切るような若い女の子です。それから学校に行けなくて家に籠っている子どもたちで、ちょっとした刺激で「そんなことじゃ駄目じゃない」と言われたぐらいで家庭内暴力を振るう青年とか、そういう人たちが多くなってきました。そういう人たちというのは、学校に行けないとか、社会に出て行けないとかいうことが密かに気になってはいるんです。しかしそれをいろいろと気にすることはなかなかもう負担になってできない。それでどうするかというと、お父さんがどうした、お母さんがどう言ったとかって、親との問題にすり替えるんですね。お母さんがそんなこと言うから僕は憂鬱になるとか、そういうことのせいにしているうちに、お母さんの育て方が悪かったという問題にしてしまう。そう言われると母親というものは必ずしも自分に自信がある訳ではないですから、少し自分の責任を感じるんですね。そうするとそれに負けてはならないので反論するとそこで喧嘩になる。そういう症状の境界性パーソナリティ障害でした。この治療はどうするかというと、親子喧嘩なんてつまらないことしてないで、もっとやりたいことをしなさいって社会の適応の方に目を向けてやるとだいたい治っていった。だいたいこういう人というのは、現代では十年十五年はあっと言う間にすぎてしまうって言ってますが、1980年代頃までは一年程度でよくなりました。

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「鈴木深雪先生お別れの会」について

この度 亡き鈴木深雪先生お別れの会を下記の通り執り行うことと致しました

会場では粗餐を用意し バイオリン奏者 丁賛宇(ジョン・チャヌ)氏によるお別れ演奏会も併せて行います
会費制とさせて頂いておりますのでご香典・ご供花等は辞退させて頂きます

当日は平服でご参集賜りますようお願いいたします

会場準備の都合上 ご参加ご希望の方は お別れの会事務局 ms@boocs.co.jp に1月31日までにご連絡をお願いいたします

-記-
日時: 平成三十年二月十二日(月)十三時から十五時
会場:主婦会館プラザエフ 千代田区六番町15 電話03-3265-8111
JR「四ッ谷駅」 麹町口 徒歩1分
会費: 三千円 (当日会場にて申し受けます)
主催:NPO法人子どものいのちを守る会

訃報

NPO法人 子どものいのちを守る会の元事務局長である木村勉さんが、12月28日に永眠なさりました。享年87歳でした。

木村さんは発会当処から事務局長を勤めていただき、当会の基礎を固めていただきました。

ここに子どものいのちを守る会を代表し、当会へのご貢献に対する感謝を述べるとともに、衷心より哀悼の意を表します。

NPO法人 子どものいのちを守る会 理事長 牛島 定信

       
    

事務局より
当法人 元事務局長 木村勉病気療養中の処 2017年12月28日 永眠致しました(享年87)
ここに生前のご厚誼に感謝申し上げ謹んでご通知申し上げます
葬儀は以下の通りおこなわれるそうです。

   
 喪 主 木村 尚子 様

 日時 通 夜:2018年1月3日(水) 午後6時より
    告別式:2018年1月4日(木) 午前10時15分より

 場 所 昭和セレモニー シティホール市川
      〒272₋003 千葉市市川1-12-3
      ☎ 0120-23-4444(JR市川駅北口より徒歩5分)

訃報

NPO法人 子どものいのちを守る会の理事であり、元日本女子大学家政学部教授の鈴木深雪先生が、12月7日に永眠なさりました。

鈴木先生には当会の発会当初から大変お世話になりました。会報ドーンには第1号から寄稿いただき、第13号まで「食品の表示について考える」を連載していただき、それらをまとめてブックレットの第1号として「食品の表示について考える」を刊行いたしました。

ここに子どものいのちを守る会を代表し、いままでの当会へのご貢献に対する感謝を述べるとともに、心からのご冥福をお祈りいたします。

NPO法人 子どものいのちを守る会 理事長 牛島 定信

   
   
   

事務局より

当法人 理事 鈴木深雪病気療養中の処 2017年12月7日 永眠致しました(享年82)
ここに生前のご厚誼に感謝申し上げ謹んでご通知申し上げます
なお密葬の儀は近親者にて相済ませました
お別れ会につきましては 2月上旬を予定しております
詳細が決まり次第こちらのサイトで告知いたします